2017年10月21日

ココロノセンリツ。

推しているソロアーティスト有安杏果さんのライブにいきました。その日は会社で不愉快なことがあり、気分的にも沈んでいました。そもそも有安さんのライブに行くために早上がりしたかったのに、早上がりしそこねるは、ついでに怒られるわで不愉快マックスでした。もし何もなければ、きっと不愉快マックスな週末だったでしょう。

そんな気持ちが、すごく救われるようなライブでした。

映画やら野球やら飲み会やら、楽しい気分で不愉快を打ち消すというのももちろん有効です。ただ、それはプラスマイナスしているだけの関係で、マイナスになった部分というのはやっぱり心のどこかに残っている。けれど、今回のライブからもらった元気は、自分がマイナスだと思っていたことさえも別の意味に変えていくような気がするものでした。

ライブの始まり。僕は2階席の入り口にいました。入場が間に合わず、序盤の2曲は席に入れずそこで止められたのです。不愉快の延長線のようで、何だか辛い。しかし、ライブが始まれば気持ちは和らいでいきます。ストリングスから静かに始まり、照明を落として歌い上げる有安さん。「小さな勇気」「心の旋律」の2曲は、あたしこういう活動頑張りたかったんですずっと、という夢みたいなものへの到達を唄い、喜びを噛み締めるようでした。何だか僕も嬉しい。おぉ、唄え。おぉ、マイク離すな。高まる気持ち。

すると彼女はその流れで、客が持つ緑色のペンライトをオフにするよう頼み始めます。今日はももクロとは別物、「ももクロの緑の応援」じゃない形で支えてねという強い自己主張を示しました。しぶしぶ許容するのではなく、明確なお断りのお願い。多少チクリと言うだろうとは思っていましたが、そこまでハッキリと意志を示すとは思っていなかったので驚きました。それだけの強い想いで、このライブを作ろうとしていたということなのでしょう。僕は最初からそのつもりだったので、この日は手ぶらでしたがね。拍手と声が、最高の楽器です。

思うにこの武道館というのは、有安さんの夢の原点であり、大きな挫折の象徴なのでしょう。エグザイルのキッズダンサーとしてリードポジションをつとめながら、大舞台のステージでは「突然やってきた知らない子たち」にセンターをもっていかれ、脇道で踊ったというかつての経験。その痛みを背負って、いつか絶対にと思いながらここまでやってきた。

中盤で演じられたエグザイルバージョンでのChoo Choo Trainなどは、まさにその日の気持ちを昇華させるための演目でした。有安さんがダンスと歌で魅せるなか、キッズたちがステージで踊り始めたときには、不覚にも僕も泣いてしまいました。悔しかった気持ちをようやく晴らせるようになったことへの祝福と、悔しいだけじゃなく夢への原動力にもなったというもうひとつの側面を掘り出して、キッズたちにそれを引き継いだという優しさ。その両方が、自分の不愉快な気持ち・立場とどこかでリンクしてしまったから。マイナスはただマイナスなのではなく、生き方によっていくらでも意味を変えていけるのだと、スーッと納得ができたのです。その涙は、感動というよりも癒しでした。

エグザイル演目のラストでは少し照明を明るくして、その子たちとの記念撮影を手短に行なっていましたが、それもきっと「その日の形」が残ることが大切だと思うからなのでしょう。何と言うか、とてもあたたかい気持ちになりました。決して悔しいだけじゃなく、あの体験がきっとチカラにもなっていたんだと。だからこそ同じ経験を誰かに渡したいと願ったのだと。そんなことが伝わってきて。不愉快な自分の気持ちさえ、それもまたいつか必要だったと思える日がくるのかもしれないと、別のとらえかたをできるような気がしました。

歌、ギター、ピアノ、ドラム、ダンス、すべてを演じ、舞台のすべてをプロデュースした有安さん。やり切ったというか、この日までにやり切ろうと決めていたというか、この日のパフォーマンスはまるでこれが人生最後のライブであるかのように、チカラを注ぎ、名残を惜しんでいました。「帰りたくない」「ずっとここにいたい」「今まで本当にありがとう」「ココロノセンリツは一度幕を閉じる」「大人と戦ってよかった…」、MCで絞り出す言葉はソロアーティスト有安杏果の終わりを告げ、別れを惜しむよう。ラストライブの雰囲気です。信じたくないけれど、そうとしか思えない。

まぁ、さすがにアンコール以降でMC5回くらいやって、終わったと思った矢先にまた何か始めるという煮え切らない展開には笑いましたが。だって「場内暗転して総合プロデュース有安杏果の字幕表示、本人深々とおじぎ」までやったら、絶対終わりだと思うじゃないですか。コッチも引き際を見極めて、ワガママを自重するじゃないですか。そしたら、そこからもう一回話し始めて、何か歌い始めるって。さらに、今度こそ帰っただろうと思って、感謝の「ももかコール(呼んでるんじゃなくて、ありがとうの意味)」をしていたら、また飛び出してくるって。アンコールしといてなんですけど、さすがに「いつ終わる気や!」って思いました(笑)。そりゃタイムキーパーから赤ランプ(話長いよ、止めろの意)出されますわw

これでソロ活動が完全に終わりということではないんでしょうが、長い中断はあるんですかね。一生懸命やったぶん、待たせていた人もいるのでしょう。だから、一度区切りをつけて待たせていた人とやるべきことをちゃんとやろう、そんなことを決めているのでしょう。僕などは別に「本隊も頑張りつつ、ネンイチくらいでソロもやったらええがな」と思ってしまうのですが、そういう器用な立ち回りは有安さんはできないのかなと。できないような人だから、好きになるのかなとも思います。だから、しばらくソロが見られなくても、それは仕方のないことだなと思うつもりです。

ただ、知っておいてほしいのは、僕はもはや「ももクロの緑」だからそこにいるのではなく、それとは別に好きなアーティストのライブとして、そこにいたということ。上司より遅くまで会社にいることでしか自分の価値を見い出せないような肝の小さな会社員も、このライブだけは行かねばならないと思ってそこにいたこと。そういう気持ちを一度たきつけたのだから、勝手に引退などしてもらっちゃ困るということだけは、ぜひ本人にもわかっていてほしい。本人に伝わるように、わざわざエゴサのナンバーワン候補の記事タイトルにしたのです。ぜひ伝わってほしい。

「代わりがきく」ものは世の中にたくさんあります。僕も「代わりがきく会社員」として生きているので、自分がいなくなっても何にも変わらない誰も困らないなぁと、日々生きていくなかで自分の無価値さに沈みます。ただ、それは自分と会社であったり、自分と社会であったり、ある一面の関係性における話でしかないのだとも思いました。

たとえば、有安杏果というソロアーティストがいなくなったとしても、世間は何も困らないですよね。似たようなのはいくらでもいる。「代わり」はきく。でも、そうじゃない人もいるのです。1万人か、もう少し少ないか、とにかく1人以上は絶対にいる。そこでなら特別な元気をもらえるような気がしていて、不愉快から救われる気がしている誰かが、1人以上は絶対にいる。その関係においては有安さんは「代わりがきかない」ものになっているのです。どこかで無価値な自分を感じたとしても、どこかには替えのきかない大切な自分がいるはずなのです。

だから、僕も誰かにとってはそうなのだろう…そう信じたくなるようなライブでした。自分が誰かを「コレは代わりがきかん…」と泣きながら見守っていたのです。そういう気持ちは夢や幻ではなく、どこかにあるものだと確認できたのです。なら、僕をそういう風に思ってくれる人だって、いたっていいじゃないですか。そういう人がいるなら、別にね、どこでどう言われようと、全部が傷つくわけじゃないでしょう?

向こうにとって僕が「代わりがきくもの」であるように、コッチにとっても会社や仕事などといったものは「代わりがきくもの」。親とか、家族とか、友だちとか、僕が元気でいることを「代わりがきかない」と思っている人の大切さとは比べようもありませんし、そんな「代わりがきく」相手からぶつけられた不愉快になど、とらわれても仕方ありません。もっと大切なものに人生を注がないといけない。

次に同じ元気をもらえるのはいつかわかりませんが、まぁそれまではほかの「代わりがきかない」何かでいろいろとやりくりしていこうと思います。僕のなかの2016、2017のベストDAYを2年連続で獲得したソロアーティスト有安さんがいなくなるのは、非常に痛手が大きいですが、まぁ、頑張ります。本隊のほうの緑担当が元気をくれるでしょうし。

有安さん、またお会いしましょう。

「代わりがきかない」同士の小さな集まりで。

Another Storyを。

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あまりに急ぎ過ぎて看板記念撮影も手ブレなり。

ももかありやすブリュレ!

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帰りにシャンディガフを飲みに寄ったお店は、店長が有安さんを推しているらしく、店内モニターでソロコンのブルーレイを流し、デザートには「M(ももか)A(ありやす)」のイニシャルを入れてきていました。推し得な店でした!





posted by フモフモ at 23:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする