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2016年11月30日

蒸し返す人。

蒸し返す人は大嫌いです。言うべきタイミングでモノを言わず、最後の最後の煮詰まった段階の「もうこれでいくぞ」となった瞬間に、思い出したようにストップをかけて、「やっぱ違くないですかね?」という提案をしてくる。

明らかに間違っているものならいいですよ。「ウコン」と書くべきところが「ウンコ」になっていたとかであれば、それはもう仕方ないから直すわけですが、いくつもの考え方がある中での別案というものをやおら提示し、「よりどちらがあるべき姿か」などという土台の部分を問うてくる。

どちらがあるべきなどというものはないのです。

手をつけたら、それで話は終わり。あとは進むしかないのです。自分ひとりのことではなく、いろいろな利害関係が絡み、さまざまな手間が発生する中で、「進む」と決めたことならば、それはもう決定なのです。「決める」ということに払った多大なコストを無駄にすることはできないのです。

「それでも100億円もカットできるなら」などと簡単に言いますが、大概の場合、その金をカットして助かるのは蒸し返す側なのです。そして、その金が何の得にもならずに、ただただやり直しの手間をかけ、時間を投じ、心をすり減らすのは蒸し返された側。自分がやると思ったら、蒸し返さないでしょう。蒸し返しは一種のパワハラです。

「人間がせこせこ動く」のをタダだと思っているんでしょう。ブラック企業の体質に近いものがあります。弁当作って渡してやったら、「今日はシウマイの気持ちじゃなかった」「俺の意見を確認しないで作り始めたな」「弁当箱の透明性ガー」などと言ったら、そのまんま弁当で殴るじゃないですか。自分のおかーちゃんにも通らない話を会社で通せるなどと思ってもらったら困る。

蒸し返す人は、同じ状態に戻ってくるまでのすべてを蒸し返し賛成派のみで実行すべきです。「えーい、俺がやる」ならば、まだ提案することを認めなくもない。その場合、途中途中において、ここまで払ってきたコストをもとに「それはもう考えたけどダメだったヤツです」などとチクチクやりますが。自分で弁当勝手に作って勝手に食えばいいのです。

蒸し返す人間をリーダーに据えると、その仕事は大抵が破たんします。蒸し返しが通ってしまうからです。リーダーというのは「決める」のが最大の仕事なわけです。「決めの問題」について、利害出そろったところで誰を泣かせるかを決めて、その業を背負うのがリーダーであり、蒸し返して戻すのはリーダーとは一番遠くにある作業。「二言はない」のです。

「絶対にダメなもの以外のすべてを流せる」人というのをリーダーに担ぎたい。

「いいよ」
「うーん、わかった」
「まぁいいや」
「なるほど、任せる」
「えぇぇぇ、いいけど」
「お前がよければ俺はそれでいい」
「いいんだよね?」
「見なかったことにする」
「押し切ろう」
「どっちも大して変わんないから、今のままでいいよ」
「見てないけど、わかった」
「オススメはどっち?じゃあそっちで」
「俺の意見などない」
「よく考えたらシウマイも好きだった」

というスルーの中で、「ここだけは頼むよ」「お願い」「グリーンピース乗せて」というのがあるなら多少手間をかけてもいいです。騒ぐだけ騒いで、その騒いだことそのものを自分の仕事のように思う人は、何かを作るぶんのコストを「騒ぎを生む」ことに使ってしまうので、結局は本来できたかもしれないよりも少ないものしか生み出せないのです。弁当が廃棄されて菓子パン渡される、みたいな。そんなことばっかり。

「ベスト」よりも「現状」が優先である。

蒸し上がったシウマイは黙って食え。

グリーンピースは乗せてやるから。

それがワタクシの仕事術であります。

どこかで、部門長として雇っていただけないですかね。



posted by フモフモ at 00:51 | Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする