2016年12月27日

ミニスカサンタはきっといる。

クリスマスが終わりました。

僕の家には今年もミニスカサンタがやってくることはなく、捕獲用の罠(※ケンタッキーのパーティバーレルなど)もすべて普通の食事となりました。ミニスカサンタはいつになったらきてくれるのでしょうか。このままじゃ僕が死んでしまいます。ミニスカサンタとクリスマスパーティーを開いて、僕が星野源の「恋」を歌いながらミニスカサンタが恋ダンスを踊るという夢は、一体いつになったら叶うのでしょうか。

本当にサンタはいるのでしょうか。

僕はわりとさめたつまらない子どもでしたので、ある時期からサンタはいないということを受け入れ、それが当然と思って過ごしてきました。しかし、年々、まさに今になってサンタはいると信じる気持ち、信じたい気持ちが強まってきています。

「サンタはお父さん」なんて言う人がいますが、お父さんがいない子にはサンタはこないのでしょうか。お父さんもお母さんもいない子にはサンタはこないのでしょうか。誰も誰も身よりのいない子にはサンタはこないのでしょうか。そんなのイヤだ。

親からもらったプレゼントは確かに嬉しかったです。誕生日だって、お年玉だって、入学祝いだって嬉しかった。でも、クリスマスはそれとは違うものだった。サンタがどこかからやってきて、世界中の子どもにプレゼントをくれる。その不思議な物語にこそ、クリスマスを喜ぶ素晴らしい気持ちが隠されていたように思います。

サンタは境遇を問わないのです。誰にでもどこにでもやってくる。そりゃまぁ「イスラムの神の国には行かないよ」なんて話もあるのかもしれませんが、少なくとも僕の概念においては、そしてサンタを信じる人々の概念においては、サンタは分け隔てなくどこにでもやってくるものでしょう。

真面目に毎日を生きていれば、誰にだっていいことがある。不思議なチカラで素敵なことが起きる。現実は決してそうではないけれど、きっとそういうことはあるんだと信じるために、子どもたちに信じてもらうために、未来をそういう気持ちで作ってもらうために、サンタはいるのだと思います。

「頑張ったら成功する」なんてのは嘘っぱちです。頑張っても成功するわけではなくて、成功したヤツの頑張った話だけが意味を持つというのが実態。成功しないかぎり、どんなに頑張っても「頑張り方が間違っている」「結果が出なければ無意味」と、その頑張りすらも否定されるのが今の世の中。

しかし、そんなんじゃ生きられない人もいるでしょう。

ある日突然、不思議で素敵な何かが起きてすべてが上手くいくかもしれないと思えたら、今のつらさが少しラクになるかもしれない。それが「希望」だと思うのです。サンタは頑張っていなくても、成果が出ていなくても、身寄りがなくても、どこかから不思議なチカラでやってきてくれる。それはお父さんが死んでも、お母さんが消えても、変わらないものであってほしい。

やがて子どもから大人になったとき、サンタクロースというジジイは家にきていないことを知るかもしれない。でも、不思議で素敵なことを信じた気持ちや、ときめいた気持ちは残るでしょう。そして、世の中にはそういう不思議で素敵なことを信じる人がたくさんいることや、サンタのようにどこかから素敵なことを運んでくれる良き人がいることに気づくのです。

人生のなかで打算なく手を差し伸べてくれた人たちへの感謝は、自分がそれをまた受け継ぐ責任として、次の世代へまた次の世代へと良き気持ちをつなげていくのです。恋人もサンタクロースだし、先生もサンタクロースだし、先輩もサンタクロースだし、上司もサンタクロースだし、友だちもサンタクロースなのです。全員じゃないかもしれませんが、混ざっているのです。

僕は、そういう気持ちの人たちに未来を託したい。

子どもたちにはそういう気持ちを教えてあげたい。

だから、サンタはいると信じるし、信じてほしい。

どんなに世の中が進んでいっても、それを上回る不思議でサンタは存在する。シンデレラになれない子の家にも、サンタはやってくる。お父さんやお母さんじゃダメなのです。お父さんやお母さん以外にも、素敵なことを運んでくれる何かがあるんだってことを信じるには、お父さんやお母さんじゃダメなのです。

だから、サンタはいます、絶対に。

空から女の子が降ってきたり、机の引き出しからネコ型ロボットが出てきたり、家事代行サービスを頼んだら新垣結衣さんがきて童貞を奪ってくれたりするのと同じように、サンタはプレゼントを持って煙突から入ってくるのです。不思議で素敵なことが世の中にありつづけるために。




posted by フモフモ at 10:37 | Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする