2017年01月03日

2016紅白エンタメ合戦

今さらになって一言というのもアレなんですが、「2016年の紅白はつまらなかった」「意味不明」「ブツぎれ」なんて感想を見たものですから、そうじゃない視点というか感想を残しておきたいなと思い、ダラダラと書き始めます。

僕個人としては今年も紅白を思いっきり楽しみました。その気持ちは例年以上でした。「何かすごい楽しかったなー」という気持ちでいたのです。それは酒飲みながらの宴会でもあり、いつもと比べる必要もなく、理由を分析する必要もないものですが、「つまらん」と言われると「そうじゃない」と言いたくなるのは人情です。理由がない感情に理由をつけていきます。

まず近年の紅白の傾向として、もはやあの番組は歌合戦ではないという点は共通認識として持っておきたく思います。歌で合戦なんかしてないですよね。審査結果も勝敗もどうでもいい感じじゃないですか。歌合戦というフォーマットは伝統芸として維持していますけれど、すでに内容は変質しており、本当に狙っているところはもう一段上のゾーンにあるのです。

それは「紅白エンタメ合戦」とでも言うべきもの。

ここ数年の傾向ということではなく、ずっと前から紅白には「その年の流行もの」が出ています。2015年はダース・ベイダーが出てきたり(エピソード7公開に合わせて)、μ'sが出てきたり(アニメというよりスマホゲーの文脈)していますし、2014年には他局のアニメ作品でもある「妖怪ウォッチ」が出てきたり、神田沙也加さんが出てきたり(アナと雪の女王の公開を受けて)しています。2013年は「あまちゃん」の追加エピソードを縦軸で展開するという演出もしています。

その前も振り返れば振り返るほどに、「歌、関係ないやん!」というネタは紅白に出てきます。10年前にはウルトラマンのアニバーサリーということでメビウスらが登場したり、20年前には藤子F氏の死去を受けてドラえもんが出てきたり、紅白はもはや「歌」合戦をやる気などサラサラありません。

むしろ、「歌、関係ないやん!」が現代の紅白なのだと僕は思います。「一年の最後に、その年を切り取りつつ、全員参加の楽しいエンターテインメントを作る」という国営放送的なるモノとしての強い使命感と理想を抱き、NHKとしてのこだわりやら大人の事情やらを乗り越えて、その年のエンタメを総ざらえしてやろうとしているのが、現代型の紅白だと思うのです。

それは当然の流れとして、「歌」というエンタメのいちジャンルでおさまるはずもなく、「映画」「アニメ」「ドラマ」「ゲーム」「イベント」「流行」「スポーツ」「ヒト」「キャラクター」といった多種多様な形のものをすべて内包していきたいということにつながるのです。より高次の概念としての「エンターテインメント」の、あらゆるモノを含んでいくという発想に。

それらはかつて、ゲスト審査員の顔ぶれや、合間の応援合戦、曲の演出によってつつましく内包されてきました。大ヒット書籍があれば著者が審査員になったり。ナントカという映画が大ヒットしたら、そのテーマソングを歌う歌手が紅白に登場して、ステージ演出で映画作品のモチーフが登場したり。それは「歌合戦」というワクを守りつつ、解釈で運用をしてきたような話だったと思うのです。

ところが、2016年の紅白は旧来型の運用をブチ壊し、もっと大胆に「紅白エンタメ合戦」に舵を切ってきた。

それを象徴するのが「シン・ゴジラ」です。2016年を代表するエンタメ潮流としての「邦画大ヒット」の一翼を担う作品であり、2016年のエンタメを語るなら外れることはないだろうネタのひとつです。「君の名は。」や「逃げ恥」は主題歌があったので、旧来の紅白のやり方でも対処がきくわけですが、「シン・ゴジラ」を旧来のやり方で取り込むのはなかなか難しい。何せ歌がこれっぽっちもないのです。

もしやるならば「誰かの歌のバックでゴジラを歩かせる」という形になりますが、それは「紅白エンタメ合戦」としては理想の形ではありません。本当に採り上げたいのはゴジラなのに、ゴジラを添え物にするような演出になるわけですから。本当にそれでいいのか。それが「紅白エンタメ合戦」の正しい姿なのか。NHK内でも自問自答があったことでしょう。

そこで大きく舵を切って投入されたのが、シン・ゴジラ出演俳優を大挙起用してのドラマ仕立ての演出です。東京湾から浮上したゴジラがNHKホールを襲い、それを歌のチカラで撃退するという流れには、「歌合戦」や「歌」の必然性はまったくありません。最後に撃退するのがX JAPANでなくても別にいい。ていうか撃退しなくてもいい。添え物として、言い訳としての歌が介在するだけ。それぐらい「歌合戦」として見れば無意味なコーナーです。

ただ、「紅白エンタメ合戦」としてみれば、何も不思議なことはありません。シンゴジが入るのは当然のことでしょうし、「歌」「映画」「ドラマ」「歌」「映画」「スポーツ」「映画」「歌」というリズム感でさまざまなエンタメが登場するのはまったくおかしなことではないのです。むしろ「映画なんだから映画のまま出せばいいじゃん」というスッキリした割り切りこそが、2016年の紅白だろうと思うのです。「あまちゃん」を縦軸のブツ切りであまちゃんのまま出したように。

もしもあれをブツ切りだと感じるとすれば、それは旧来の「歌合戦」にとらわれているか、あるいは「エンターテインメント」という、より高次の概念についていけてないか、どちらかだと僕は思います。司会のふたりもついていけませんでしたが、司会のせいにするのはよくないでしょう。どうせ、例年、司会なんて見てないわけですから。

たとえば「リオ五輪⇒桐谷健太⇒シン・ゴジラ⇒欅坂46⇒君の名は。⇒RADIO FISH⇒東京五輪⇒逃げ恥⇒ピコ太郎」とかがつづいたとしたとき、歌合戦という意味ではグッチャグチャのブツ切れでしょうが、エンターテインメントという意味ではすごく2016年っぽいじゃないですか。「次のエンタメはコレでーす」って出てくるぶんには、どれがどの順番できてもOKじゃないですか。どう並べても、めちゃくちゃ2016年です。ぶつ切れになんてなりません。ちゃんとコチラがついていけるのならば。

そういう意味では、NHKが最後の最後までSMAP出演にこだわったのは必然なのかなと思います。SMAPこそがアイドルを「歌」という枠から解放し、高次のエンタメへとステップアップさせた象徴的存在なのですから。そのSMAPが解散するというのは2016年の日本エンタメ史に残る重大なトピックでしょう。それを「紅白エンタメ合戦」が内包できなかったら、悔しいし、恥ずかしい。

そのことへのささやかな抵抗というか、影のように寄り添うのが司会の人選とタモリ・マツコが会場にたどりつかないという演出なのかなと思います。「紅白エンタメ合戦」として考えたときに、本当にコレを仕切れるような人はあまりいなくて、オールジャンルで一言はさみつつ、何でも受け入れていける司会ってのはあまり思いつきません。

「あえて」誰かを考えたとき、浮かび上がってくるのは「タモリ」だったり「マツコ・デラックス」なんじゃなかろうかと思います。このふたりなら、オールジャンルでネタを持ってこられてもさばけるだけのエンタメ度量があるでしょう。タモリさんの知らない細部は聞き流しつつ深い知性で本質をとらえる司会であったり、マツコ・デラックスさんの何でも食いに行く女装家ならではの受け口の広さだったり。もし、司会にふたりが立っていたらゴジラがきてもキョトンとはしなかったでしょう。きっと、どうにかしてさばいていた。

ただ、2016年の日本エンタメ史を考えたときの裏テーマとして「芸能界の闇」というものがあると思うのです。文春砲による社会的制裁を逸脱した人生崩壊ぶりであったり、SMAP解散であったり、芸能人というのは一般社会とは違うところの闇のルールのようなものに縛られているんだなというのがクローズアップされた一年だったと思うのです。

その痕跡を紅白に遺すのが、「はく奪された能年玲奈」を影のように浮き上がらせる有村架純であり、「壊されたSMAP」を影のように浮かび上がらせる嵐であるように思うのです。当初は「来年の朝ドラのヒロインだから」「相葉クンがNHKでグッとスポーツをやっているから」という理由だけで受け止めていましたが、紅白中に「あまちゃん」の演出をわざわざ入れてきたときの違和感(=何故ここで能年玲奈を思い出させるんだ?という気持ち)で、それだけじゃないのかもしれないなと僕は感じました。

芸能界の思い通りにいかない力学や、光の背後に落ちる影が、「ポンコツな仕切りで本人も自嘲する司会者」と「何故か会場に入ってこれない名うての司会者」という、「ままならない」構図によって示されているのかなと。タモリさんとマツコさん用の空席、それは本来その会場にいるべきだったSMAPの空席を映す鏡だったのかなと。「SMAPは呼べなかったんです」とはクチに出せない代わりに、「席はあるけど来れない人がいたんです」「ギリギリまで追いかけたんです」「でもダメなんです」というNHKなりの嫌味というか、抵抗がそこにあるような、そんな気持ちで僕はあの空席の意味をとらえています。

まぁ、そんな深読みはさておき、紅白とは「歌」のジャンルにとらわれず、もっと幅広いエンタメを楽しむことができる番組であるというのは、来年以降も変わらない流れだと思います。その意味で、見る側の一年というのが試されるイベントになりつつあるのでしょう。今年どれだけ遊んだか。今年どれだけ楽しんだか。自分が好きなものだけでなく、いろいろなことに興味を持って過ごしてきたか。そして、過去はどうだったか。急に20年前のものを持ってこられてもついていけるか。最先端のものへの食いつきはどうだったか。自身のエンタメ力が問われるイベントなのかなと。

もし紅白を見て「知らん」「つまらん」「何コレ」と思うようになったら、それは自分自身がつまらん過ごし方をしてきたということかもしれない。そう気付くキッカケになるような番組になっていくんじゃないでしょうか。視聴率もまた上がっていくかもしれませんね。「歌」だけだとどうしても知らん人も混ざってきますが、「エンタメ」という文脈のトップランナーが集えば、まるっきり知らないということは少なくなりますからね。

「RADWIMPS」って言われたらわからなくても、「君の名は。の歌」って言われたらCMのアレねってわかる。そんな「わかる」感が、より増していくのかなと。紅白、面白いです。僕は好きです。来年も楽しみです。もっとめっちゃくちゃに「歌合戦」から飛び出していっていいと思います。そのほうがきっと楽しいですから。何が出てきても、紅白に選ばれるようなものであるならば、しっかりついていける自分でありたい。そんなことを想う、2016年の紅白エンタメ合戦なのでした。








posted by フモフモ at 20:00 | Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする