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2017年04月20日

「詰めない」という社会運営の仕組み。

毎日会社で詰められているみなさん、お疲れ様です。なかーま。なかま。僕は会社に「サラリーを受け取り」に行っているだけなのに、そのついでにお礼ぐらいの気持ちで軽作業をしているだけなのに、それで詰められると本当につらいですよね。

一歩会社の外に出れば、「ふーん」で聞き流して終わりのことも、ケンカをせず、相手を怒らせず、かつこちらの要望に沿う形に動かし、他人に迷惑をかけない、という前提で対処しようとすると、なかなかに難しいものがあります。

僕は、自分で言うのもなんですが手ぬるいほうです。

およそ人に文句をつけたり、説教したりすることはありません。ブログなどを読んでいると「コイツ説教してばっかり」みたいに思うかもしれませんが、アレだってどこかに逃げ道だったり、仕方ない許容部分を残してしまいます。

それは詰め切れない甘さとも言えますが、やはり他人と他人が生きていくうえで必要な仕組みだと思うのです。石垣だってそうでしょう。ピッタリに積もうとしたら、ものすごいコストがかかるじゃないですか。大体で積んで、途中をパテで埋めたっていいじゃないですか。そういうことを許容することが社会運営のコツなんじゃないのかなと思うのです。何かを完全に従わせようとすれば、誰かが折れざるを得ないのですから。

僕はそうした考えに基づき「アカウント乗っ取り被害」というものを、許容しようと思うのです。

たとえばインスタグラムに局部の写真を間違って掲載してしまったとき。きっとそれはLINEとかで個人的なやり取りをするための画像なのでしょうが、ついうっかりそれをインスタで公開してしまったとき、アチャーとかアイーンとか思うだけで十分だと思うのです。「何故」とか「何のために」とか細部まで詰めて責任の所在を明確にする必要はない。指が滑っただけなんですから。

誤爆の主が「アカウント乗っ取り被害です」と言い出したら、そこでもう許すということでイイと思うのです。いないと思いますよ、その乗っ取り犯は。でも、いるかもしれないじゃないですか。奇跡で。そのわずかな可能性を信じてあげることで、痛恨のミスをなかったことにできるのです。誰も困ってないんだから、なかったことにしてあげたらいいじゃないですか。

いる、アカウント乗っ取り犯はいる。

不正にアクセスして局部の写真を投稿した乗っ取り犯はいる。

その後、パスワードを変更するでもなく、そっとアプリを閉じて管理権限を本来の持ち主に戻した乗っ取り犯はいる。

僕はそれでいいと思います。

だから、心配しないでいいんですよ。だいじょうぶだぁ





posted by フモフモ at 01:01 | Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする