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2013年09月25日

あまちゃん最終週〜4人目のマーメイド

半年間、あまちゃんを見てきてよかった。寄せては返す多幸感。何度も、太巻のようにあふれて顔をテカテカにする涙。僕は今日、昼の再放送を含めて6度この回を見返しました。そして鈴鹿ひろ美が歌う「潮騒のメモリー」を20回以上聴き返しました。聴いても聴いてもまた聴きたくなる歌声に、とりつかれたように。

薬師丸ひろ子という存在の偉大さ。この物語の中で、鈴鹿ひろ美は天才的大女優として描かれます。その設定のまま「大女優が演技で圧倒する」というシーンが作中で何度も登場しました。演じる薬師丸ひろ子への期待の大きさ。もしそこで薬師丸ひろ子の演技が「ごく普通」のものであれば、話そのものが成立しなくなります。しかし、話は成立します。薬師丸ひろ子という女優のチカラで。角川映画で僕ら世代の心をつかんだ新人女優は、今もこうして輝きつづけている。青春のつづきが甦るようで、誇らしくなります。

そして、今日。鈴鹿ひろ美が一世一代の歌唱を披露しました。トンデモない音痴という設定のキャラクター。アキは「大当たりだ」と喜んだように、この回の歌唱はまぐれかもしれません。作中で描かれなかったほかの歌は実はボロボロだったりするかもしれません。それでも、薬師丸ひろ子がついに歌った「潮騒のメモリー」は、小泉今日子のオリジナルをはるかに凌駕する津波のようなチカラをたたえていました。小泉今日子と薬師丸ひろ子の歌手としての力量差を考えれば当然ではあるのですが、それにしてもすさまじかった。

この回を見るために、あまちゃんを見てきたのかもしれない。この回ですべてが報われたような気がする。残り3回となった放送。僕はその恐怖を乗り越えた気がします。この美しいリサイタルを続編で上書きなどしてはいけない。終わることでの喜びがある。それほどに美しく、これ以上余談を加える余地のない、鈴鹿ひろ美ストーリーの決着だったと思います。

↑ここまでただの薬師丸ひろ子賛辞

↓ここから感想

さて、この回で決着を迎えた鈴鹿ひろ美ストーリー。みなさんはどんな受け止め方をしていますでしょうか。鈴鹿ひろ美が一世一代の「潮騒のメモリー」を披露し、それに圧倒され満足する春子と若春子。自分はやっぱり影武者だったんだという心の底からの納得感。これが本物の、これこそ自分が憧れたアイドルなんだ。私にはきっとなれなかったね、という満足の微笑み。

歌詞の一部「三途の川のマーメイド 友達少ないマーメイド」が「三代前からマーメイド 親譲りのマーメイド」と改変されたことや、若春子が二度と現れなくなったという語りから、「若春子の未練が成仏した」という受け止め方をしたいところです。

それで十分ですし、それ以上にはない気もします。


なので、ここからは僕の勝手な深読みになります。

鈴鹿ひろ美は、この「三途の川のマーメイド」という一節を、震災後には不謹慎だと考え、何とか改変しようとしてきました。ただ、本当はもっと変えたい部分がほかにもあったのです。「寄せては返す波のように」も津波を連想させますからね。

しかし、それを止めたのは夏でした。そんなことは気にしない、それを言うなら「17才は」という部分もウソだから変えなきゃいけないねと、恐れをジョークで吹き飛ばします。歌はあくまでも歌。夏の言葉が、鈴鹿ひろ美を震災自粛から解き放っていったのです。

それでも、なお、どうしても「三途の川のマーメイド 友達少ないマーメイド」だけは変えようとした。

もはやそれは震災自粛という理由ではなく、今の鈴鹿ひろ美にとっての真の「潮騒のメモリー」を探す行為だったかもしれません。この歌は自分のものであって、自分のものではない。影武者の存在に傷つき苦しんでいたのは、鈴鹿ひろ美もまた同じこと。この歌は若春子の歌でもなければ、鈴鹿ひろ美の歌でもない不完全なものだったのです。

「三途の川のマーメイド 友達少ないマーメイド」

この一節はまさに、その不完全さを引きずりさまよう、マーメイドの爪あとのような一節です。ポップな曲調と軽口な歌詞の最後に突如として織り込まれる、不遇と物悲しさ。三途の川は言わずもがな、死の手前で亡者がさまようところ。そこで生霊のようにさまよう若春子の未練を想起せずにはいられません。視聴者にとってそうであるように、鈴鹿ひろ美にとってもまた、そう読み取れる一節だったはずです。

だが、それだけではなく、同じ場所に若き日の鈴鹿ひろ美もまたいることを、鈴鹿ひろ美本人だけは感じていたのではないでしょうか。

自分の歌を奪われた少女と、他人の歌をあてがわれた少女。若春子の姿と、若ひろ美の歌。一部分のみを奪われ、不要な部分として残された少女の欠片は、行き場をなくして賽の河原をさまよっているのです。何にもなれず、どこにもいけず。自分がどういう存在なのか知られることもなく。ふたつの欠片が三途の川で、今も行き場なく留まっている。そんな思いを抱いたからこそ、鈴鹿ひろ美はどうしてもその一節だけは変えたかったのではないかと思うのです。

初めて客前で歌を披露する日。鈴鹿ひろ美は鮮やかな水色の着物を選びます。これまでの多くの場面、鈴鹿ひろ美は黒のドレスに身を包み、自分自身を隠してきました。私生活を一切見せず、友達を持たず、子どもを持たず、ただひたすら演じる役にカラダを捧げる依代のように。いや、鈴鹿ひろ美はもともと「自分」というものが希薄だったのかもしれない。だからカラッポの肉体に役が染み渡り、大女優となれた。そのぶん、人間・鈴鹿ひろ美はどこか子どものような精神のまま、取り残されてきた。

震災のあと、「自分」を見失った鈴鹿ひろ美。

役者としても、歌手としても、人間としても鈴鹿ひろ美は生きる気力を失います。私は何をし、何のために生きているのかが、わからなくなってしまった時。その鈴鹿ひろ美を立ち直らせたのが3人のマーメイドでした。アキが大女優鈴鹿ひろ美を叱咤し、春子がアイドル歌手鈴鹿ひろ美に檄を飛ばし、夏が人間鈴鹿ひろ美に活を入れた。

鈴鹿ひろ美再生の歌。

アキや春子や、北三陸の町が、悲しみを乗り越えて再生したように、鈴鹿ひろ美もまた、この地で失ったものを取り戻し、甦ったのではないでしょうか。だから、もう三途の川にマーメイドはいないのです。マーメイドは海女カフェにいます。たくさんの友達に囲まれて、海女カフェにいるのです。元の歌詞のままじゃ「17才」よりも大きなウソになりますよね。そりゃあ、変えなくちゃいけませんよね。


僕にはどうしても引っかかっていたことがあります。

改変された歌詞が「三代前からマーメイド」である点です。今の代がアキだとすれば、一代前が春子、二代前が夏で、三代前は存在しないひいおばあさんです。しかし、会話の中であえて「三代前は夏」であることが明示されています。ということは、三代前=夏、二代前=春子、一代前=アキ、そして今の代の誰か。4人目のマーメイドがいると読み取るのが、日本語として真っ当な解釈です。

それは誰なのか。

僕は、鈴鹿ひろ美その人だと思います。

年こそ重ねていますが、彼女こそ4人目のマーメイド。マーメイドとなるため、鈴鹿ひろ美は北三陸の町で暮らし、海を眺め、夏と触れ合い、若春子の部屋に住まいました。自分が失った部分とピッタリ重なる片割れである若春子を、己の中に取り込もうとしてきたのです。今の春子からは得られない、自分の欠損を補うパーツを。

若春子は、鈴鹿ひろ美の中に取り込まれ、融合したのではないでしょうか。そして、若春子を取り込んだからこそ、依代として天賦の才を持つ大女優鈴鹿ひろ美が、「潮騒のメモリーを歌うアイドル歌手」を完璧に体現するに至ったのではないでしょうか。4人目のマーメイド鈴鹿ひろ美が「親譲り」を標榜できるのも、その魂の内に若春子を取り込んだからこそだと思うのです。


アンデルセンの「人魚姫」は、声を失う代わりに愛を求める人魚の物語です。自分の声を奪われ、依代としてのアイドル歌手を演じてきた人魚姫・鈴鹿ひろ美。彼女は自らを衆目に投げ出し、「音痴の発覚」という死を選びます。しかし、同じく身を投げた原作の人魚姫は泡になって死んだわけではありません。泡になった人魚姫は「空気の精」となって天国にのぼり、永遠の愛を見守る存在となるのです。身を投げた鈴鹿ひろ美もまた、新たな存在として再生し、北三陸に愛をもたらしたのではないでしょうか。

海に身を投げたマーメイドのように。

夏が、春子が、そうしてきたように。

アキが本作の序盤、北三陸に来たときにそうしたように。

歴代のマーメイドたちのように。

そして、彼女たちが再生する、永遠の愛を体現する「空気の精」のような存在。

それを、この国の人は「アイドル」という名で呼ぶのではないでしょうか。

この日、海女カフェで、鈴鹿ひろ美は、確かにアイドルでした。


以上、勝手な深読みでした。

まぁ、これだけ何かを言いたくなる物語を見せられたら、続編なんて、言えないですよw



↓何度でも聴き惚れたい鈴鹿ひろ美の「潮騒のメモリー」







posted by フモフモ at 23:38 | Comment(12) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は春子verの方が好きかな。小泉今日子は歌手としては終わったと思ってたので…風立ちぬなんて鳥肌もんでした。多少、機械で弄ってるかもしれませんがね。どちらにしても、フモさんは感受性豊かですね。私なんか、「朝ドラは終盤になるとまとめに入ってつまらんなぁ〜。」と、思いながら見てました。でもたしかに、このまま終わった方が美しいですね。
Posted by アキは3代目だからじゃないの?ただのウッカリでは? at 2013年09月26日 00:36
ここまで練られたお話で2と3を取り違えるのはないやろーと思って私も引っかかっていましたが,4人目を鈴鹿さんにするのはありですね。納得。
Posted by 高山羊 at 2013年09月26日 04:50
おっさんとしては、古田新太に駄目押しされました。目から潮水が・・・
Posted by てふてふ at 2013年09月26日 15:47
私も、鈴鹿さんの歌を聞いたら鳥肌もんで、若い頃の薬師丸さんは特になんとも思わなかったんだけど、今になって、あまちゃんのあの歌だからなのか歌い出しから感動しちゃいました。
何感動してるのか自分でもわかんないけど、なんかいい!
CDでるといいな!
Posted by こもちゃん at 2013年09月26日 16:56
泣きました。何度も見ました。
春子と鈴鹿ひろ美の物語は決着したものと思っていたのに、まさか最後にこんな事に

鈴鹿ひろ美は、誰かを演じることはできても、本当の自分をさらけ出す様な事、たとえば歌う事はできなかったのでは。さらに、太巻たちは何でも先回りして手配してしまうし。大事にしてくれたのだろうけれど、彼女も「腫れ物」だったのかな。春子たちが叱って励まして、やっと、自分の声で歌えたのかな。

青い着物は振袖でしたよね。
きっと、歌っている時、彼女はデビュー当時の若い鈴鹿ひろ美だったのでは。

でも、私には、「ザ・ベストテン」などで観た、薬師丸ひろ子に重なってしょうがなかった。

Posted by むぎちゃん at 2013年09月26日 17:01
潮騒のメモリーの歌詞の中に「早生まれのマーメイド」とありますし、鈴鹿ひろ美が夏ばっぱとの会話の中で「早生まれなんで学年だと(春子より)2つ上です」と言っていた気がします。
映画「セーラー服と機関銃」では薬師丸ひろ子は4代目なので、フモさんの意見にとても共感しています。
「あまちゃん」はこういう小ネタや複線があちこちに散りばめられていて、今週はそれらが幸せなカタチに収まっていくので、自分もつい何度も見て楽しんでます。
作り手やそれに関わる人たちの愛情を感じるいい作品ですよね。
Posted by カワタクロ at 2013年09月26日 18:07
※6さん
納得!フモさんの記事と合わせて読んで、腑におちまくりました〜
クドカンさんの脚本、伏線の回収が見事ですね!
なんだろ、言いたいことはたくさんある気がするけど、単純に、あ〜いいもの観たな〜という幸福感に包まれています。
Posted by 名無し at 2013年09月26日 18:37
続編はあるでしょう?作中で伏線張ってるでしょう?
『潮騒のメモリー』リメイクがそれでしょう?
4代目はアキの娘でしょう?

『あまちゃん』でクドカンが仕掛けた伏線は、この半年間だけで完結してしまうようなものではない気がします。何十年か後の続編で能年玲奈ちゃんと橋本愛ちゃんが、かつてのトップアイドルがオバサンとなった今回の薬師丸ひろ子と小泉今日子のように、おばあちゃんになった『潮騒のメモリーズ』天野アキと足立ユイを演じるヴィジョンが見えませんか?

って、観れねーわ、そんな先の話!甲斐さんも死んどるわ!ヒビキは生きてるかも。ジジイになってもアイドル追っかけてるよ。フモさんも生きてるな。続編はないなんて言わんと、それまで楽しみに生きーや。
Posted by フユ at 2013年09月26日 23:20
とりあえず『みつけてこわそう』をリアルに始めて欲しい。
あと、「影武者」でねえ。お・ち・む・しゃ!
Posted by フユ at 2013年09月26日 23:34
月曜から水曜まで事情で見ることができませんでした。
今日最終回を二度見て泣き、一週間総集編を見て泣き、フモタンの回折を見てまた泣いてしまいました。最後にあんなはしゃいだゆいたん見せるなんてひどい。クドカン天才!!
Posted by yukiyuki at 2013年09月28日 11:11
初めまして。
4人目がいるという予想と、それが鈴鹿さんであるという予想をしてた人が他にもいたなんて!
周りはクドカンのミス説や鈴鹿さんが間違えただけ、という人ばかりで、もしかして私がおかしいの?と不安になってました。
結論の導き方は私より管理人様のほうが説得力がありますね。

同じ考えの方が他にもいて嬉しくなったので、ついコメントしてしまいました。
Posted by X at 2013年09月28日 20:44
今さら日曜日のダイジェストで鈴鹿バージョン聞きました。凄かった。そして鈴鹿の太巻評「夫としてはいいけど仕事のパートナーとしては×」に大納得。なんで替え玉いまさら用意するんだと。それにしても自分の書いた脚本で自分の歌を薬師丸ひろ子と小泉今日子に歌わせるって、クドカンはあの世代の思春期少年の欲望を最も昇華した男と言って差し支えないのではないでしょうか。秋元某よりもうやらましい。わたくしもかくありたいと念じる次第です。
Posted by at 2013年09月29日 14:13
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