2017年08月17日

価値観の押しつけではなく、垢と迷いを洗い流すために牛乳石鹸はあります。

牛乳石鹸のWEBCMが燃えていると聞きました。2ヶ月くらい前に公開されたものが何らかのキッカケで今燃えているのだとか。見ましたところ、燃えるような燃えないようなわかりにくい感じです。決して燃やすつもりはないのでしょうが、現代の感覚や常識とは必ずしもマッチした世界観ではない部分もあります。ただ、すごくイヤな感じというわけでもありません。わかりにくい部分、自分でも気になってしまったので少し見ていきます。

↓動画自体はこんな感じのもの。


主人公は新井浩文さんが演じるサラリーマン風の男性。家族は妻と小学生くらいの息子がいます。家は郊外のマンションでしょうか。ゴミ集積場にゴミ出しに行くのが主人公の日課である様子や、バスに乗って通勤先に向かうところからして、バス便を駆使する必要がある駅から20分ほどの距離感の家を買ったのでしょう。勤め先は新宿のようです。住まいは向ヶ丘遊園とか調布あたりか。世帯年収は700万円から1000万円くらい。その辺の層が買いそうな物件です。貧しくはなく、すごく豊かというほどでもない暮らしぶり。

主人公の妻は、ゴミ出しをこなしつつ出勤する主人公に向かって「帰りにケーキもお願い」と声を掛けます。どうやらこの日は息子の誕生日である様子。カレンダーには花丸がついています。家族間の絆はあり、あたたかい家庭ではある模様。声をかけた妻はスーツ姿です。どうやら共働き。主人公は表情からして生きるために働いているという感じですが、妻は自己実現のために働いているのかもしれません。出勤前の表情がそんな夫婦なのかなと感じさせます。妻に主人公は「はーい」と枯れた返事で、出ていきます。決して拒否ではありません。怒りも悲しみもありません。ただ、それを受け入れるという、何の主張もない感じ。「一家の長」という視点で見れば、非常に頼りない、情けなさが滲みます。

場面は変わって主人公のオフィス。上長の席では若手社員が「何で報告しないんだ」と叱責されています。ミスは問わないという上長、コミュニケーションの問題を指摘しているのは制作側のメッセージでしょうか。主人公もまた同じような問題を抱えていること、つまり「言葉であれこれ説明するのは苦手」という人物像を暗に示すかのようです。そのさなかに妻から「プレゼント(野球のグローブ)もお願い!」というLINEが飛んできます。そのメッセージに返信することなく、同僚からの書類のチェック依頼に応える主人公。置かれたままのスマホの待ち受けは家族写真。父と子は野球のユニフォームのような服装です。休日に一緒にキャッチボール、そんな日の一枚なのでしょう。

ここで主人公は自分と、自分の父親を対比し始めます。「あの頃のオヤジとはかけ離れた自分がいる。家族思いの優しいパパ。時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか…」。回想に浮かぶのは、出掛けて行く父親の背中、ひとりで壁に向かってキャッチボールをする子どもの頃の主人公。そんな回想をしながら、主人公はグローブを買いに向かいます。

グローブとケーキを手にした主人公の帰り道。「それって正しいのか」という疑問に重ねあわせるように、視線の先には昼間叱責されていた若手の姿が。主人公は衝動的に彼を飲みに誘います。そして、「俺も昔怒られてたけどね」と元気づけようとしています。スマホには妻からの着信。主人公はその着信に応答することなく、夜まで若手と一緒に過ごします。

家では妻子がご立腹です。誕生日パーティーの飾りつけも料理も済んでいるのに、肝心の父親とケーキとプレゼントがこなかったのですから当然です。「何で飲んで帰ってくるかな」の問いに、主人公は答えず、風呂に向かいます。風呂につかりながら、自分の父親のことを思い出す主人公。父親の背中を流す幼き主人公に重ねるように、「オヤジが与えてくれたもの。俺は与えられているのかな」とモノローグ。

風呂から上がった主人公は「さっきはごめんな」と声をかけ、パーティーの席につきます。妻も笑顔に戻り、子どもを呼び寄せます。本編にはありませんが、メイキング映像でははしゃぐ子供の姿や、「練習する?」「する!」といった会話が収録されています。なごやかなパーティーです。もう妻からも子からも責める様子は見られません。

そして家族はわだかまりをおさめて、日常に戻ります。主人公はまたゴミを出し、バスに乗って会社に向かう。その表情は心なしか前向きのようでもありますが、決して笑顔というほどでもありません。「いやいや」が「仕方なく」に改善されたくらいの進歩でしょうか。もしかしたら、何も変わっていないかもしれないくらいの微妙の差異です。

そこに「さ、洗い流そ。牛乳石鹸」というコピーが入る。


僕はこれは繰り返す日常と、その中で起きる小さな心の汚れや迷いを表現したかったのだろうと思います。頭ではわかっていることも、本当は違うと思っていることも、日々の暮らしのなかで迷ったりゆらいだりするもの。それは誰が悪いのでもなく、当たり前のことです。主人公も、見ている視聴者も、悟りを開いた聖人君子ではないのです。

主人公と父親の関係は決して温かいものではありません。仕事に出掛け、キャッチボールもしてくれない。昔ながらの仕事に生きる父親像です。それが主人公を寂しくさせたのは間違いありません。だから、今は「家族思いの優しいパパ」をやっているのです。それは本心からのことでしょう。

ただ、寂しくはあったけれど、そんな父をまた尊敬もしていたのでしょう。「与えてくれたもの」が確かにあったとセリフで語っています。だからこそ迷うのです。自分は家族思いの優しいパパをしているけれど、親父が与えてくれたような「強さ」だったり「責任感」であったりを見せられているのかなと。

これはどちらも本当の気持ちなのです。

「寂しかったけれど」「カッコよかった」のです。主人公にとっての父親は。

今、主人公はその「寂しさ」を埋めるアプローチで父親をしている。自分の父親が与えてくれなかったものを与えているのです。しかし、自分の父親が与えてくれた「カッコよさ」を与えることはできていないように感じてもいるのです。これは二者択一の部分がある問題ですので、どちらも同時に与えることはできないのでしょう。自分の選択は正しいはずだ、でも本当にそうかな…と主人公は迷っている。ゴミ出しをして、一緒に遊んであげるだけが父親なのかなと、選ばなかった人生に揺らいでいる。

だから、この日の主人公は揺り戻したのです。子どもの誕生日という「家族思いの優しいパパ」にとってもっとも重要な日に、妻のLINEを無視して書類のチェックを行ない、妻の着信を無視して若手を励まして、「仕事に生きるカッコいいオヤジ」をやってみたのです。衝動的に。だから「ゴメン少し遅れる」的な説明はしないし、妻の叱責に言い訳もしないのです。家族を気にしないことこそが、「仕事に生きるカッコいいオヤジ」像なのです。それは、自分が選ばなかったほうの人生の光景なのです。

ただ、結局主人公は家に帰ってきました。子どもが起きてパーティーをできる程度の時間ですから、せいぜいが21時くらいでしょう。この揺り戻しは非常に軽微なものです。「魔が差した」「気の迷い」レベルの。そして、主人公は妻の叱責を無視して風呂に向かいます。

この風呂で描かれる回想は、子どもの頃の自分が父親の背中を流す場面。子どもの頃の主人公にとって、父親と入る風呂は、父親を身近に感じる貴重な時間であり、父と子のコミュニケーションの時間であり、父親の優しさや愛を感じる時間だったのでしょう。前半で描かれた「仕事に行く背中」「ひとりのキャッチボール」と対照的な情景が描かれているはずですので。そこに多くの言葉はなかったのでしょうが(主人公は無言で背中を流している)、愛は感じていたのです。

その時間に、幼き主人公は「やっぱりお父さんのこと大好き」と寂しさをリセットしたのです。

今は逆に、「やっぱり俺は家族思いの父親でありたい」と迷いをリセットするのです。

迷いは日々生まれるもの。自分の人生がひとつしかない以上、「本当にコレでよかったのかな」と迷いつづける日々です。それは毎日の汗や垢のように、避けようもなくこびりついてくるもの。しかし、それを洗い流し、リセットしてまた「自分が正しいと信じる人生」に向かう。人生はその繰り返しなのです。小さな揺り戻しを経た主人公が、翌日にはまたゴミ出しをしてバスに乗ったことが、それを示しています。

牛乳石鹸は、そんな時間を作っていきたいということなのでしょう。風呂に入って、さっぱりとする。その時間が、明日また迷いながら同じ人生に向かう人の支えになる、なりたいのだという希望をこめて。そして、主人公の行動は大いに家族の反発を招きそうなものではありますが、そのこじれをも、風呂と石鹸がリセットできたらいいのになと思っているのです。ちゃんと誕生日パーティーができるようにしてあげられたらいいな、と願いをこめて。

主人公は今の人生が辛いわけではない。

ゴミ出しがイヤなわけではない。

妻子を愛していないわけではない。

ただ、選ばなかった人生への迷いはある。いつだってある。誰にだってある。

だけど、また主人公は同じ日々に帰っていく。

風呂に入って、リセットすることで。

このCMでは、現代社会とか少子化とか夫婦共働きとかの問題をとやかく言うつもりはないはずです。どんな生き方にも完璧というものはないからこそ生まれる日々の迷い、すなわち何もしていなくても身体に生まれる「垢」のようなものを、風呂でリセットしてまた頑張ろうよと言っているだけでしょう。石鹸は垢を根治させるものではないのです。垢は避けられないものとして、それを洗い流していくものなのです。むしろ「汚れてもいいんだよ。石鹸で洗えばキレイになるんだから」と受け入れている。

僕はここに「現代社会とか少子化とか夫婦共働きとかの問題」とかを重ねることが、そもそも間違いなのかなと思います。この映像の本質は「迷い」なのです。どちらの価値観が正しいと言っているわけではなく、迷っているのです。そして、その迷いに石鹸は効きますよと言っている。まさに石鹸らしいじゃないですか。究極の対処療法。汚れてから洗うための道具。「汚れてしまっても大丈夫にしてくれる」道具。その分相応を知った感じの、イイ動画だと僕は思います。ま、「こんなしつこい汚れも牛乳石鹸ならこんなにキレイに!」のほうが石鹸のCMっぽいとは思いますがw

炎上しちゃって、石鹸の中の人も辛いでしょうね。

こんなつもりじゃなかったのに、と。

でもしょうがない。それが人生です。

そんなときは、風呂に入ってリセットしましょう。

そしてまた頑張りましょう。

「さ、洗い流そ。牛乳石鹸で」





posted by フモフモ at 01:08 | Comment(10) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする